Keep Upgrading Myself!!!

多くの人達と様々な経験をシェアすることによって互いに成長し続けていきたいと思い、ブログを始めました! 遅筆ですが、ときどき読みに来て頂けると嬉しいです。

台湾の友達と世界史講座を受けてきた話。

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 みなさん、Dobro veče!(Добро вече!)お久しぶりです。(「お久しぶりです。」なんて言わなくていいようにブログの更新を頑張っていきたいものです・・・・・・。)さて、「いきなり何語であいさつしてるんだ!?」と思われた方も多いと思いますが、「Dobro veče!(Добро вече!)」とはセルビア語で「こんばんは!」という意味です。では、なぜセルビア語かと言いますと、今回参加させて頂いた世界史講座のテーマがギリシャと旧ユーゴスラビアだったからです!

 

tabi-daigaku.jp

(毎度おなじみtabippoさんの旅大学。)

 

いつもは一人で参加する旅大学。しかし、今回は普段と趣向を変えて台湾出身の友達、L君も一緒です。(L君との出会いについて気になる方はリンク先の記事をお読み下さいww。)

 

takeharamasahiko.hatenablog.com

 

 すみません、脱線しすぎましたm(_ _)m。本題に戻ります。 

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ユーゴスラビアがあった地域には現在7つの国があるのですが、みなさんはご存知ですか?正解は・・・・・・、

セルビアボスニア・ヘルツェゴビナクロアチアマケドニア共和国スロベニアモンテネグロコソボ」の7ヶ国です。クロアチアドブロブニクは今では日本人に人気の観光地ですし、DMM英会話の先生にはセルビアボスニア・ヘルツェゴビナの先生が多いので、7つ全部正解とまではいかなくても「いくつかは答えられたよ!」という人が多いかもしれません。

 これら旧ユーゴスラビアの国々があるバルカン半島は「バルカニゼーション」という言葉が生まれるくらい、様々な民族が混ざり合っていて揉めごとがよく起こる地域でした。(残念ながら、今でも全ては解決できていないかもしれません・・・・・・。)

 今回の講座では、講師の佐藤先生が古代ギリシャから歴史振り返り、なぜバルカン半島は揉めごとがよく起こる地域になってしまったのか分かりやすく説明して下さいました。例によって教えて頂いた内容を全て書き連ねるわけにはいかないので、講座の中で特に印象に残ったコソボの独立に関する話をご紹介したいと思います!

 

 コソボは2008年2月17日にセルビアから独立を宣言した比較的新しい国です。(セルビアやロシア、スペインなどコソボの独立を認めていない国々も少なくありません。)僕と年齢が近い人はコソボ紛争のニュースを学生時代に見た記憶があるかもしれません。コソボ紛争に関してはセルビアを悪者とする論調が日本では多いように感じます。しかし佐藤先生曰く、「セルビアにもそれなりの事情があった。」とのこと。いったいどういうことなのでしょうか?

 セルビアは人口の大多数がセルビア正教を信仰しているセルビア人で占められています。それに対して、コソボにはイスラム教を信仰しているアルバニア人が多く住んでいました。コソボアルバニア人は独立を主張してきましたが、セルビア側は認めませんでした。というのも、コソボにはセルビア正教の聖地があり、セルビア人にとっては手放すことのできない特別な場所だったからです。そんな中、コソボ解放軍がセルビアに対してテロを起こしました。セルビアはそれに反撃し、紛争に突入していきます。

 当時、コソボではセルビアによって多くのアルバニア人が虐殺されたそうです。ただ、コソボには紛争が起こる前からセルビア人も暮らしていて、彼らはアルバニア人ともそれなりに平和にやってきていました。しかし、一旦紛争が始まるとセルビアから多くの兵士がやってきて今までご近所さんだったアルバニア人を殺害していきます。コソボに住んでいたセルビア人達は虐殺を止めることができませんでした・・・・・・。下手にアルバニア人をかばってしまうと自分たちも殺されてしまうかもしれなかったからです。

 その後、NATOによるセルビア空爆など国際社会の介入もあり、紛争は終結コソボは独立を果たします。しかし、悲劇は連鎖します。今度はコソボに住むセルビア人がアルバニア人に殺されたりと迫害を受けるようになったのです。

 コソボの問題はキリストとイスラムの宗教対立という文脈で語られることが多いようですが、最初のきっかけはどうあれ、実際は自分の親友や親、兄弟を殺された復讐という面が強いみたいです。佐藤先生がおっしゃるには、「もうここまで来てしまったら、どこかの世代で我慢するしかないのではないか。今自分が相手を殺せば、自分の復讐心は満たされるけど、今度は自分の子供が相手側に殺されるかもしれない。そのことに気付き、自分の主張から一歩引いて我慢できるかどうかではないか。」と。なかなか難しい問題ですね・・・・・・。

 

 ちょっと暗くなってしまいましたが、ここからは一緒に行った台湾のL君に台湾の世界史事情と今回の講座の感想を聞いてみたので、ご紹介します。

「台湾の世界史の授業では、北京原人とかの話から始まってすぐにルネサンスぐらいまで話が飛びます。その間の話は極々簡単にしかやらないし、大学入試でも100点満点中10点あるかないかぐらいなので、自分でもほとんど勉強しません。でもそれは本当の歴史の姿ではないですね。今回の講座では古代ギリシャから始まって、おもしろい話がたくさん聞けてよかった!」

楽しんでくれたようでよかったです!

 あ、そうだ。台湾ではセルビアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナはそれぞれ塞爾維亞、克羅埃地亞、波士尼亞赫塞歌維那って書くんだって!え、他の4つはって?

               寝タフリ{[(-ω・)]}zzzzZZZZ

 

 次回は11/30(土)にイギリス編が予定されているそうです。是非一緒に聞きに行きましょう!

 最後まで読んで下さり、ありがとうございます!では、また!!!